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ようやく「ほこ×たて」の自動演奏ピアノ聴き比べの回を最初から通して観たけれど,これって,「人間の演奏」なのか「人間の演奏を記録して再生した自動演奏」なのか以外の要素をかなり頼った判断のような気がするなぁ.
少なくとも同じ演奏に対して判断しないとまずいよね.Take1 と Take2 との演奏表情の違いが大きすぎる.
それと順序依存性というか,聴かせる順番の戦略.おそらくこれって,1/2の確率になっていないと思う.せめて,2曲,判断させないと.
あと,聴き比べるひとをならべて同時に聴き比べさせたらだめでしょう.ふたり用意した意味がない.
あと,これは,たぶんなのだけど,人間が弾いている気配って,あの状況下だとかなり感じ取れる気がするなぁ.
中山秀征だったかタカだったかが「幕の向こうでも足音でわかる」みたいなことを言っていて批難されていたけれど,あれってそんなにばかにした話でもないと思う.
幕の向こうにいる人間が弾いているかどうかの気配って,あれくらいの距離だったらかなりわかる気がするなぁ.
ダミーで別の男の子を座らせてるけれど,あんなことをしたらかえってわかりやすくなってしまう.だって,ぼけっと座っているだけなんだもの.せめて本人に座らせて,本人が弾くフリをしないと.それでも,鍵盤やペダルに触れるわけにはいかないから動作がぎこちなくなって,その気配がわかるだろうし.
おそらく,聴き比べたひとは,気配にかなり頼って判断していたはず.
そのあたりは,どうやるとフェアな「ほこ×たて」になるのだろう.
人の気配を消すというフェアさを作るためには,録音するしかない気もする.
フェアな「ほこ×たて」をするのなら録音でいいんじゃないの?
生音を聴かせるということにこだわりすぎな気もする.
録音だと確かに音が変わってしまうけれど,音のよしあしを比べるわけじゃないし.
録音だと,「人間の演奏」と「人間の演奏を記録して再生した自動演奏」との区別がつかなくなるのだとしたら,それはそれで Disklavier E3 の勝ちだよね.
技術的には Disklavier E3 は,もうほとんど「人間の演奏」と「人間の演奏を記録して再生した自動演奏」との差はないはず.
まだ残っている差は,
o 鍵盤をソレノイドで駆動しているので,その駆動精度,そして駆動の再現性.
データ表現的には 1024段階で記録されているけれど,「駆動系の精度がそこまであるかどうか」,そして,精度があったとしても,「記録時と同一に再現できているのかどうか」はまた別の話.
Disklavier E3 は,ポリフォニックキープレッシャーも 1024段階の精度で刻々と記録再生してはいるけれど,やっぱり駆動系の精度(能力)がそれに追いついているのかどうかは,なんとなく疑問だ.
あと,それら「刻々」の時間分解能が足りているかどうか.
「人間には区別つかないレベルで同一」,だろうとは思うし,それで十分だとは思うけれど.
o ペダルの記録分解能と,その駆動精度,そして駆動の再現性.
ペダルは鍵盤と違って,たしか,まだ 256段階しかなかったはず.それで人間の演奏の記録再生として精度が足りているのかどうか.
それと,これもやっぱりデータ表現の話とは別に,駆動系の精度とそして駆動の再現性が関わってくる.
あと,ペダル駆動を刻々と行うときの「刻々」の時間分解能が足りているかどうか.
ただこれも,「人間には区別つかないレベルで同一」,だろうとは思う.
人間の能力はかなり高い.それはそうなのだけど,記録再生の技術ももうかなり追いついてきてしまったので,「判断がつかない」という結果が出てもいいと思う.