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「井の中の蛙」が「井の中」に居続けるのであれば,大海を知らなくてもいいと思う.
なぜなら,大海と接する機会がないから.
大海と接する機会がないのであれば,彼の一生涯は「井の中」が「全世界」であるので,「井の中」を心地よいと感じ続け,「井の中」で万全を尽せばよい.
「井の中の蛙」は,不意に現れたウミガメに「大海」について教えられ,驚嘆するわけだけれども,「井の中の蛙」にとって「井の中」が素晴らしい世界であることには変わりなく,また今後も「井の中」以外と関わることがないのであれば,「井の中」の素晴らしさを「井の中」だけで称賛していれば,それでよいと思う.
大前提として,「井の中」の素晴らしさを「井の中」以外で語ってはならないけれども,そこさえ守れば,なんてことはない.
不意に現れたウミガメに対しては,おとなしくしていればいいだけのこと.
最近,「アホな人間」を「井の中の蛙,大海を知らず」と例える人が多くいるのですが,私はそれにかなり違和感があります.
例えられている「アホな人間」は,
o 「井の中」から,ちょくちょく出る必要がある
(「井の中」以外も「井の中」と同等以上に接する機会がある)
o 「井の中」に対して,不平不満だらけ
o 「井の中」で万全を尽くさない
ことが多いからです.
「井の中」からちょくちょく出るのであれば,年齢相応に「大海」のことも知っていなければおかしい.
また,「井の中」が自分のホームグラウンドであるのならば,そこは心地よく感じていたほうがよい.
さらに,「井の中」が自分のホームグラウンドであり,「井の中」以外に関わることは本当は不本意なので目をつむりたいということであれば,「井の中」で万全を尽くすべきでしょう.
単なる無知で,自分のホームグラウンドをけなし,内弁慶を気取りたいだけのような人を,「井の中の蛙」に例えるのは,「蛙さま」に失礼な気がする.
彼は「井の中」を心地よい空間であるとほめ,満足し,万全を尽くし,生涯をまっとうするわけで,それは忌避されることではなく,むしろ「できることを,できる範囲で,できるだけ尽力している」ことをほめるべきだ.
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「アホな人間」を「裸の王様」に例えるのは,「裸の王様」に失礼な気がする.
http://knoike.seesaa.net/article/156172163.html